7月›July, 2002‹ #17 2002.7.31 (Wed) 夏は何が嫌だって、暑いことよりも 道端のセミの死骸の多さにうんざりする。 間違って踏んでしまった日にゃあ最悪だ。 すっかり殻だけになったり、 つぶされて無残な姿になった セミを見ると正直ヘコむ。 その生き様は男らしいが、 なんだか寂しい夏の一面 #16 2002.7.30 (Tue) じゃ過去の小説が好きなのかと言うと、 そうでもない。 小難しい表現は 頭の悪い僕にはノーサンキューだ。 最近は時代物を読む。 別に小説じゃなくても研究モノでも。 想像力を目一杯働かせる事のできる 本が好きなのかも。 #15 2002.7.27 (Sat) 現代小説はあまり好きではない。 娯楽作品らしくなくて疲れる。 人生追うのは自分の人生で充分だ。 他人の人生まで追う必要はない。 人の人生を模倣するよりも、 自分で悩んだ結論で自分の人生を固めていきたい。 それにわざわざ小説を読まなくても、 自分に啓示を与えてくれる 人生観はすぐ周りにいっぱいあるし。 #14 2002.7.27 (Sat) どうしようもなく辛い時、悲しいときに 酒を飲む、タバコを吸うというのは ある意味「逃げ」のようで嫌だった。 でも、感情が強く自分を傷付けている間は、 反省すらままならない。 一時の逃げで自分を癒し、 その後しっかりと反省できるならいいんだろう。 そう思えるようになったのは成長かもしれない。 一方で、やっぱり何かすごく辛いことがあったときに 音楽の事を考えると、その悲しみを忘れられた。 でも、音楽を逃げ道にするのは嫌だった。 そう思っていたけど、 忘れようと必死に音楽の話をするのではなく、 音楽の話をしている間、 悲しみがどこかへ隠れてしまっている事に気づいた。 音楽は逃げ道じゃない。そう思えた。 #13 2002.7.8 (Mon) 先日僕のサックスの師匠のカルテット、 トジュール・サクソフォーン・カルテット の演奏会に行った。 もうすぐレッスンに通って1年経つが、 聴くのは初めてだった。 それはやはりプロの演奏だった。 自分に足りないものがよくわかる。 それは上手いとかそういうことだけではなく。 そのライブが行われたのは梅田ロイヤルホース。 ライブがないときは普通の レストランっぽい上品なお店。 だがそこは、 世界のジャズのトッププレーヤーも出るようなすごい店。 当然聴きにくるお客さんも耳が肥えている。 しかしライブは大盛況。 サックスアンサンブル用のスペインを吹いたが、 そのときの拍手はすごかった。 トジュールSQはジャズ畑のバンドではない。 でもそこはプロ。 お客さんを満足させる演奏をする。 それを痛感した。 一方、その次の日は武庫女のふれコン。 小中学生、障害者の方も楽しめるような演奏会。 彼女らはプロではない。 でもどんなお客さんでも 満足できるような演奏会という意味では、 同じようなソウルを感じた。 演奏とは演奏者が聴く側に押し付けるものではない。 リードの時に感じた事にも似てる、 ある種の真実のようなもの。 #12 2002.7.4 (Thu) 先日例の アルフレッド・リード氏をお迎えしての演奏会が終了。 僕はというとリード氏に見とれていて入り間違うは、 音間違うはで散々だったわけですね。 そんとき思っちゃったんです。 僕にとってはリードと一緒の舞台にいる事より、 サインをもらうことより、 目の前にある音楽を、 目の前に出てきた音をどうするかに必死になって、 感情爆発させるほうがよっぽど気持ちいいんですわ。 だからちょっと後悔してます。 しかしリードよりも 目の前の音楽を選ぶ僕は終わっちゃってますかね? |