3.思考と意識

■さて、細胞を生命と見なすのであれば「生命とは化学反応の結果にすぎない」という、あまりロマンティックでない結果が出た。 しかし私たち人間は思考し、自ら選択肢を選ぶ。運命(ここでは確率の大きい方みたいな意味)に立ち向かい、未来を切り開く。 化学反応なんてモノじゃ表せないほど複雑な社会で生きているのだ。
■人間一人という個体は、そんな長い生命の歴史の結果生まれた超複雑体である。無数の化学反応(すなわち意志)が集まれば、より複雑な意志を生む。 つまり、人間の思考とはすべて「生存」が源となっているのではないだろうか?
■例えば道を歩くとき誰かとぶつかりそうになれば避ける。これは社会的な行動であろう。また自分の意志によって行われた事だと信じるだろう。 もちろん無意識も働いているのだが。
■しかし、人間の細胞の作る複雑な意識と言うやつが「ぶつかる→怪我→細胞の破壊」あるいは「ぶつかる→喧嘩→相手によっては生命の危機」 という知識と判断を持っているが故に、脳から「避けろ」という判断が送られると。
■更には、このような基本的な思考の組み合わせによって更なる複雑な思考が生まれると考えられる。
■そうすると、ユングだかフロイトだかの言った「普遍的無意識」。これもなんだかありそうな気がしてくる。 生きている間脳に叩き込まれる記憶、その一部が遺伝子に書き込まれていて、それが生まれる子供に伝わっていったとしたら。
■長い人間の歴史の中で遺伝子は様々に組み合わさっていき、少なくとも同じ種族の中でだったら、何度も近い遺伝子どうしが交わる事もあるだろう。
■そうして脈々と遺伝子に組み込まれた「意識」は普遍化していき、それが伝統や種族意識となったり、あるいは本能と呼ばれたりするのだろう。
| 1 | 2 | 3 | TOP PAGE→