楽。奏者と観客のいる全ての空間が作る音楽とでも言いますか。
■投げかけるだけでなく相手からも返ってくる。それにより、演奏・ムード自体がヒートアップしていくような。明らかにコンクールとは違う音楽だと思います。
■ある意味コンクールよりシビアです。審査員はどんな演奏でもとりあえず聴いてくれます。しかし、観客が自分の音楽に合わないと感じれば聴いてもくれないわけですから。
■「僕はこれだけやったよ、この演奏にはこういう意図があるよ!」と言っても、受け入れられなったら終わり。それはコンクールも同じ。
■だから僕は今コンクールに出ているけど、それはある種通過点に過ぎません。まずは受け入れてもらえる演奏を目指すための。
■師匠とコンクールについて最近よく語ります。指揮者の役目、トップの役目、2ndの役目、などなど。おぼろげながら、コンクールというものの姿が見えてきました。 それはゆうたら上に書いたことなどな訳だけど。
■それによると、コンクールは競技であると。幅跳びで、足がラインより出てはいけないのと同様に、あるラインを決め、その範囲でど
れだけ優れているかを競う。
■フィギュアスケートは技術点と芸術点があります。転んだりバランスを崩さない上に難易度の高い技を決め、なおかつ芸術として表現すると。
■コンクールもそういうものだと割り切ればよけいないちゃもんもつけずに済むのですが。
■それでも、例えば絵画などアートのコンテストでは、技術は前提にあり、その上で芸術性が良し悪しを決めている感じがします。小難しい制限はありません。便器出しただけで賞を取れるくらいですからね。
■もっとも、絵画にしてもコンテストとは絵を売るため、パトロンを探すため、つまりプロとして上へ行くための評価市場なわけです。音楽でもプロの世界では一緒です。
■絵画などの素人のコンテストでは必ずしも技術だけではない。メッセージ性や芸術性が評価の対象になっているように思う。もっとも、音楽でそういったものを見て評価するのは本当に難しい。
■どちらにせよ、あらかじめ制限の決められた場に自ら入って競おうという以上、その制限の中で精一杯するしかないですよね。あなたはコンクールをどうとらえますか?
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